誰かの分岐点になる話

私の経験や疑問に触れて、誰かがヒントや共感を得て前に進めますように。

自分だけは自分の味方でいてあげてと言われても

昔から思考が迷走し始めたときに浮かぶ言葉が

世の中でよく言われるタイトルの言葉。

「自分だけは自分の味方でいてあげて」

 

正直、そういう思考に陥っている時にそんなことを言われても

してあげてと言われて出来ることならとっくにしているわけである。

元々私は自分のことが大好きだが、同時に大嫌いでもあった。

単純に、好きな部分と嫌いな部分があるだけなんだと思うけれど。

だけどこういう言葉は要は、嫌いな部分も愛してあげてという意味だろう。

 

今まで、そうしてあげたくても簡単にできることではなかった。

人のいやな部分もいやだが、自分のいやな部分もいやなのだ。

そんな菩薩じゃないんだから、などと思いながら何の解決もせず

もやもやとして時が過ぎるのを待ったりなんとかもやもやを抜け出したくて

人に助けを求めて暴走して反省、を繰り返していた。

 

ただ、このタイトルのブログを書こうと思ったのは

今日見た夢によって、ひっかかりが取っ払われたからだ。

 

ここから先はスピリチュアル要素を含むかもしれないので

苦手な方のために先に結論を伝えておく。

その後は、興味のある方だけ面白半分に読んでいただければ幸いだ。

 

結論、「自分だけは自分の味方でいてあげて」ではなく

「自分だけはいつどんな時も自分の味方でいてくれている」

が正しいことに気付いたのだ。

 

それに気付いた瞬間、涙が溢れてきた。

してあげて、と言われて出来るものじゃないのは間違いない。

それに、自分の意思で頑張って味方をしてあげようとするのは

努力が伴う時点でしてあげたくてすることでもなくなってくるじゃないか。

 

でも、そうじゃなくて、意識下ではなく潜在意識、自分が認識できない

自分の領域で、人は既に、生まれたときから自分を愛しているんだと。

何を失敗しても、何に躓いても、何の罪を犯しても、

それによって自分以外はもちろん、自分自身すら自分を責めても

自分の奥底に眠る自分自身の潜在意識というか、魂というか・・・

きっと自分で認識できない何かが自分の中にいて、

それが私自身をずっと受け入れてくれている、認めてくれている、

ということを感じることが出来たのだ。

 

だんだんとスピリチュアルじみてきたので、この辺でなぜ

そう思うようになったのか、今日見た夢と夢占いの説明をしよう。

 

夢の内容としては、ある学校の生徒として自分が過ごしていて

そこで起こったトラブルを解決しようと同級生と相談をしていて、

その後授業が始まるからと教室に戻ろうとしたのだけど、

教室の戻れず学校中をうろうろと彷徨い始めるのだ。

そのうち、校舎の工事中の場所に迷い込んでしまい、

引き返そうとしたときに、工事現場のおじさんが声をかけてくれて

外に出られる道を案内してくれた。

危ない場所もとても丁寧に、優しく誘導してくれて安心してついて行って

出口付近の最後にはもう一人おじさんが現れて

ガラスの破片が散らばっている場所から抱きかかえて降ろしてくれたり、

とにかく安全に抜け出すことが出来たのだ。

外に出られてからはなんとなく行く道がわかったので、

おじさんに手を振って、優しい笑顔で見送られながらその工事現場から去って行く。

そんな夢だった。

 

目が覚めて、ふと気になって夢占いを見てみた。

学校の工事現場の夢は、協調性を身に付けたいと考えている心情の表れだという。

まさに、今自分はあるチャレンジをしようとしていて、

それには仲間が必要で、どうしたらいいかと頭を悩ませている時期だった。

元々一つのものを深掘りするような生き方をしてこなかったから

いろいろな人との関係性は割と薄い方で。

それが気楽だったのもあって長らくそうやってのんびり生きていたものだから

いざ仲間が必要となった現在非常に困っているのだ。

きっとそれが夢として現れたのだろうからこれはまあいい。

 

もう一つ調べた。工事現場の作業員と話をした場合だ。

これが重要で、作業員が知らない人だった場合、それは自分自身となる、と。

自分自身の内面と向き合っていることになるのだと。

本当に夢占いに関しては科学的根拠があるかもわからないし

信じる信じないは個人の自由なので私が頭のおかしなことを言っていると

思う人がいても何らおかしくはないと思っている。

それを承知で、それでも私はこの夢占いの結果に救われたので話を進めさせて貰う。

 

私は、夢の中で登場した作業員の方とそんなに多くの会話はしていない。

ただ、彷徨って不安と焦りに支配されている私の前に現れて

危ないと怒ることもなく私を助けてくれて、優しく明るい場所へ連れて行ってくれた。

抱きかかえてくれた手は優しくて暖かかった。

そして外に出られたあとも何も言わずに、手を振ってお礼を言って立ち去る私を

本当に優しい眼差しで笑顔で手を振って見送ってくれたのだ。

それがなんと自分自身というのだ!

 

私が不安で仕方のない時に、手を差し伸べて助けてくれて

私がわかる道まで導いてくれたのが、私自身だったのだ・・・

驚きと衝撃とともに、愛が溢れるように泣いてしまった。

どうしてそんなに泣けたかって。

その作業員の方々が、とんでもなく優しかったからだ。

行動だけじゃなく、まとっていた雰囲気というか、なんとなく感じるじゃない?

言葉は優しいけど実際顔は怒ってるとか、実は心情は穏やかじゃない時とか

あるじゃん。でもその人たちからは微塵も感じなかった。

交わす言葉もほとんどなかったし(大丈夫?気をつけて、とかくらい)、

それでいて最後優しく見送ってくれた。

 

それが私?なんなん、泣くわ。

 

それで確信した。私はいつどんな時も、私の味方でいてくれていたんだ、と。

それは意識下の私は知らない私。

他人くらいその私を私は知らない気さえするけど、一生私の中にいて

一生私という人間を肯定して受け入れてくれている私がいる。

そう思えたことが嬉しかった。

 

いろんな失敗や挫折を繰り返してきた。

いやな自分も変わらずいる。いやな部分はいやだ。

改善していけるものは改善もしていきたい。

そういう意識下の自分は変わらない。

だけど、いやな自分も、改善したいと思う自分も全て

何もかも含めた私という人間を、こんなにも丸々見守ってくれている存在は

私自身しかいないと思った。

 

私に限った話ではない。人は自分の真の味方だ。

それに気付いている人も多いとは思うけれど、

私は40歳を目前にしてようやく気付くことが出来た。

 

もう一人の私に心から感謝したい。

そして、これからもよろしくと伝えたい。

味方が一人でもいると思えるだけで少し強くなれる気がする。

 

夢の実現に向かって、失敗もあるだろうけど頑張ろうと思えた。

夢の話は、また今度書き記そうと思う。